第三章 ほの暗き深淵の底から
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どちらかといえば旧型のマイクロバスが道を進んでいる。
おもむろに運転手が老人に聞く。
「なんかあなたも子供たちも嬉しそうですね」
老人は微笑みながら返す。
「わしは子供たちに、『希望』を見せに行くことが目的でな。見なさい
あの子供たちの目を。まさに希望に満ちた目をしているじゃろ?」
運転手は少し速度を落とし、ミラー越しに子供たちを見る。
いい笑顔だ。
特に一人の少年の笑顔が一番いい顔だった。
子供のころ、自分はあんな笑顔をしたことがあるだろうか?
「今日は何の日かは知っているな」
不意に老人が運転手に再度話しかける。
「ええ、隕石の軌道変更用ロケット打ち上げの日ですね」
「うーむ、残念だがそれは答えの半分でしかないな」
「?では、残りの半分は?」
運転手は子供が親に聞くような表情で問いかける。
「既に我々はあきらめとった。しかし、曲がりなりにも世界が一つとなり、みんなが
まず何かをはじめようとしている」
老人は、運転手に再度問いかける。
「では、正解は?」
「希望の始まりの日、ですか?」
「合格じゃ!」
合格なんて言葉久しぶりに聞いたと運転手は思ったが、悪くない。
すごくいい気分だ。
不意に運転手は笑いだした。みんないい笑顔になった。
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仏領ギアナ、ここを国レベルの定義でのみ語るなら、世界的にはもう
殆ど存在していない『植民地』である。
その産業といっても、たいした物は見られない。
別に山奥の高地で兄さんと修行する格闘家がいるわけでもない。
フランス的には一応「県」にあたるらしい。
…昔の日本にたとえるなら「グアム県」「サイパン県」が出来ている
という例えになるが…納得できますか?
いずれにせよそのギアナに今世界の目が集まっていた。
フランス国立宇宙センター・ギアナ(クールー)宇宙センターは、
仏領ギアナのGDPの25%を占める重要なものであり、逆にフランスに
とっても赤道上から静止軌道上に衛星を打ち上げるためにきわめて
重要な土地だ。
そして、今回の彗星迎撃ミサイル第一弾も、やはりここから打ち上げる
ことが一番効率がいいという結論になっており、メガトン級核爆弾搭載
アリアンXが既にセットアップされている。
とにかく世界的にはこの事業が成功すれば何の問題もない。
一歩間違えば大都市を完全に壊滅させる兵器になりうるものが、人類と
地球を救うというのはなんとも不思議な話である。
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石原はひとまずテレビを消していた。
あと1時間。深夜アニメで十分時間はつぶせた。
まずはアリアンの打ち上げを見ることが自分に課せられた仕事だ。
(深夜アニメを見るというニートの仕事も果たしたわけだが…)
打ち上げに失敗、というものは勘弁してほしいと思う。
その瞬間に全てが繰り上がり、自分のところに回ってくる確率も一気に
数倍にアップしてしまうのだ。
そうはいっても、ロケットの打ち上げ失敗は比較的多いことなのだ。
近年の日本でもH2Aの打ち上げが一度だけ失敗し、2機の偵察衛星を
「喪失したこと」になっている。
ええっと…まぁ…そうなんじゃないかなぁ…多分…お察しください。
アリアンにしても成功率は150/159(全シリーズを通じて)であり、
数パーセントの確率の打ち上げ失敗がありうるのだ。
現時点で一番安全なロケット「ソユーズ」シリーズですら97%。
(但し近年では致命的な事故は起こっていないことを追記しておく)
中国のロケットなんかどうなんだろうなぁ…まぁ大体同程度の
安全性のようである。いずれにせよロケットなんて爆発物の塊なので、
一歩間違えば大惨事になる。そこのところは把握しておいてもらいたい
ものだと思う。村や町が消滅という事態は本当に起こっていたのだ。
ともかくだ、現状では代替手段がない以上、ロケットを使うしかない。
そしてペイロード最大のアリアンに推進剤付の核爆弾を積む。
現実的、実に現実的な回答である。
現実的な対応で非現実な隕石衝突に対応し、問題なく解決できる…
世の中なんてそんなものであってほしいと心から思う石原である。
…あと46分。
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一条は3時間の睡眠の後、きっちり目を覚ました。
まるでプログラムされているかのような強い意志だ。その意志が強すぎ、
他人に対する要求も過大となる傾向はいただけないという一部の人間も
いたが、基本的に市ヶ谷での評価は極めて高いものだった。
将来的には幕僚となる、あるいは在野に戻り政治家になる、そういう
評価を受けている男である。
だがそんな男でも、今回の一連の天災(まさに「天」災だ)については、
せいぜいできることといえばテレビのモニターを監視することだけだ。
とりあえず打ち上げは成功してくれと思う。
できれば成功してほしい。
…だが、一条の心のどこかに不安があった。
本当に、人間が小惑星を動かすことなど可能なのか?
無論理論上は可能である。しかし、実際に試した人間など誰もいない。
2008年に行われたブラックホール実験、あれもやるまでは地球滅亡するのでは
といわれていたが、一瞬にして消滅しただけだった。
ホーキング放射の結果である。
ブラックホールは物質を吸い込むだけではない。ある一定の状態を突破すると
ばらばらとなった構成物質を放出することになる。その際物質の構成情報も
何らかの形で放出されることになる(おそらくエネルギーという形で)
つまるところ、やってみなければ誰も結論を出せないのだ。
うざい深夜アニメも終わったし、あと30分でどちらにせよ人類が放つ最初の矢が
小惑星に向かう。モニターに向かうしかない。
例え失敗したとしても…これは天に対する人類の宣戦布告なのだ。
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「間に合いましたね」
運転手と老人、そして少年少女はギアナ宇宙センターの一般ゾーンに入って
打ち上げを待っていた。単純に言えば宇宙センター内の空き地である。
「せっかくじゃし、運転手さん、あんたも見ていかんかね」
「そうですね。他にすることもないですし」
「せんせー」
一人の少年が老人に話しかける。
「どうしたんじゃ?」
「エトがいません。さっきまでいたのに」
「あぁ、大丈夫じゃよ。エトは『関係者』じゃから」
「関係者?」
老人は半ば笑いながら言う。
「エトの母さんもわしの教え子じゃったが、かなり頭がよかったからなぁ。
今では立派にロケットを打ち上げとる。そして、エトも母親の血を引いておる」
「たっしかに、エト頭良いもんなぁ」
「遺伝子で決まるってずりーよなー」
若干不平不満を言う生徒たち。
「いや、遺伝子で決まるのはせいぜい半分だけじゃ」
「そうなんですか?」
運転手が不思議そうに聞く。
「そうじゃ。運転手さん、あんたも車の運転をするのに練習したじゃろ」
「確かにそうですね」
「人間ってのはそうやって、学び、練習し、努力することが出来るんじゃ。
さらにいうとな、遺伝子の組み合わせは時にとんでもないものを生み出す。
ありとあらゆる万能の環境にあった遺伝子の組み合わせなど存在せん」
「へぇ…」
生徒たちは半分分からないながらも、なんとなく言いたいことを感じ取りつつあった、
「つまり、わしが言いたいのは」
一同はごくっとつばを飲む。
「帰ったら全員今日のロケットの打ち上げの感想文を書くんじゃ!」
ずっこける全員。
「あ、運転手さん。あんたもついでに書いとくといい。わしも書く」
「…なんで俺まで…」
運転手はなんでこの年齢になって宿題を出されるのかと若干嘆いた。
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エトは母親に特別関係者席に連れてこられた。
エトは今腕章をしている。「仏領ギアナ宇宙センター特派員」
やや体に似合わぬビデオカメラを持ってきている。もはやTVカメラに近い。
三脚の前でエトはセッティングを開始した。
各国のマスコミは若干どよめいていた。
「ねぇ君、これはどういうこと?」
「政府の命令です。僕がきちんとこの発射を映像にとること。それが今日の
僕の大事な仕事です」
「…いったいどういうことなんだよ…」
「ギアナってドンだけ人材不足なんだ?」
無論ほぼ嘘である。しかしながら撮影を行っているのは事実だし、何より
その映像はギアナ宇宙センターにも提供されることになっている。
「ところで、みなさんはロケットの打ち上げについてご存知ですよね」
「ああ、3,2,1,0で発射ってヤツだろ」
「…え?」
エトは反射的に記者の一人を見る。
別の国の記者がその記者に言う。
「どうやら少なくともお前さんよりは彼の方が向いてそうだな、この仕事」
「えぇ?なんで?」
「打ち上げまでに燃焼開始のタイミングがあるんだ。そこから推力を上げていく」
「つまり、数秒前には発射ボタンは押されているんです」
エトも追加で説明している。
「知らなかった…」
「…これからは、彼におしえてもらうといいぞ」
「…ああ、そうさせてもらうよ」
記者は子供だと馬鹿にしていたエトを見直さざるを得なかった。
例え十分に理解できなくても、自分も仕事に戻らないといけない。
彼にもジャーナリストとしての精神があった。
「でも俺は、この情報を世界に伝える。受け取った人に判断してもらいたい」
「君はあまりロケットを知らないかもしれないが、君も立派な記者だな」
「…俺以上に立派な記者がいるけどな」
「まぁそういうな」
報道関係者はなんとなく打ち解けながら撮影準備と撮影開始を行う。その
報道関係者のなかにはもちろん、エトもいる。やることをやるのに大人も
子供も関係ない。
「ところで、君、エト君だったっけ?アリアンの特徴ってなんかあるの?」
「アリアンの特徴の一つに第一段の燃料がすべて液体水素であるということが
あります。比推力としては現在のロケットとして最高の効率を有します」
「比推力って?」
「比推力とは…
エトは報道関係者に説明をしていた。
おかしいよね、彼まだティーンエイジャーなのに。
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世界中の人間が固唾を飲んでいた。
もう打ち上げまで5分を切った。
朝の四時なのに日本人の20%は既にモニターの前にいた。
石原、一条、武宮…それぞれ立場は違えど、思うところは一つ。
打ち上げよ成功しろ!そして、小惑星の軌道を変えろ!
世界中で映像が配信されている。ニューヨークの巨大スクリーンで、中国の
国営放送局で、アルジャジールで、BBG(英国放送協会)で、インドのカルカッタの
街頭テレビで、ケープタウンの夕方のTVで…世界の17億人がその光景を見守る。
アポロ11号月着陸の瞬間並みの注目度だ。
カウントダウンは続く。ついに一分を切る。
石原が叫ぶ。「飛べ!」
一条もつぶやく。「飛べ!」
世界のあちこちでカウントダウンが減っていくたび「飛べ!」と誰かが叫ぶ。
5,4,3
「メイン、サブエンジン点火!正常動作!推進開始!」
轟音とともに浮き上がり、飛び立つアリアンV。
これほど望まれたロケットはそうはあるまい。
少しずつ、速度を増してゆく。
あれほどの巨大なロケットがどんどん小さくなっていき、…天高く舞い上がる。
「見てみぃ、あれが、『希望』じゃよ」
「あれが…『希望』…」
老人と運転手、子供たちは空を見上げ続けた…はるか彼方にアリアンが
飛び去るまで。
「成功です!打ち上げは完全に成功!パーフェクトです!」
記者の一人が叫ぶ。世界のあちこちから喜びの声が聞こえた。
「やった!」
「ktkr!」
「行ってくれ俺の未来のため!」
「10歳の娘のために!」
「打ち上げ成功キタ━(゚∀゚)━!!!!」
「逝ったーーーーっ!!!」
「一太ああぁぁぁっ!!」
掲示板には喜びだかなんだか分からない絶叫が書き込まれる。
エトは、しばらく呆然とした後、録画スイッチを止めた。
「よーし、これでおしまい」
「いんや、まだあるぞ」
「え、先生?」
「みんなと一緒に帰るとするかの。そして、宿題の…」
「感想文ですか?」
エトは打ち上げが終わる前後から文章を書いていた。
それはジャーナリストたちに説明した際に書いたものだった。
それは 感想文というには あまりにも詳細すぎた
大きく ぶ厚く 重く そして大作過ぎた
それは正に
科学雑誌にも載せられる
立派な文章だった
「…これは…もうちょっとこう、子供らしく書けないか?」
「えー…」
今日一日で一番嫌そうな顔をしたエトだった。